カタリストへの道 1/3

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NPO法人ZESDAにジョイン

今年5月からNPO法人ZESDAのボランティアスタッフとしてジョインした。

この25年間、自分が培ったクリエイティブのスキルや知見を活かせないかという想いとさらなるキャリアアップを目指していたという事もあった。

それ以前にも、地方企業の副業サイトにも募集したみたりもした。面接まで行けても案件不成立や書類選考で審査にも通らない日々が続くいた。

やはり、金銭が発生するとなると先方も慎重になるし、時間も掛かる。

そこで、ネットで「ボランティア」「プロデューサー」と検索した所、ZESDAがヒットした。早速応募し、面接から1ヶ月の試用期間があり、無事ジョインする事ができた。

ZESDAは、多くのプロジェクトがあり、理事長の桜庭氏をはじめスタッフは全員ボランティアだ。

どのプロジェクトをやりたいかと聞かれたので浄水剤の「アクアリピュア」を指名させて頂いた。何故か?モノを売る事をしたかったからだ。

ここ10年通販事業でモノを売る術を身に着けたので、いつか自分でもモノを売ってみたいと思っていたからだ。先輩方のお陰で、戦略コミュニケーションの立案から各SNSの発信、運用を少しづつ実行できている。

その他にも、栃木県佐野市の藍染の紹介映像を作りたいという事でお誘いを受けた。佐野市役所の佐山さんをはじめ、それぞれ立場も年齢も違うスタッフが集まり、打ち合わせをした結果、まずは現地訪問で藍染を体験、藍農家さん、藍染師さんのお話を聞く事から始めようという事になった。

その様子を撮影、ZESDAメンバーのコピーライティングから映像の構成を組み立て、編集まで一貫した連携で「SANO BLUE」を完成する事ができた。

この様に現地に行ってインプットからアウトプットする事をやってみたかった。行くと様々な課題が見え、その解決方法を探す思考が働くからだ。そして将来的には、それを実装できるまでやってみたいと思っている。

その映像は、10月8日にニューヨークで開催された「サクラコレクション」でお披露目された。

こんな感じで、4ヶ月ほどボランティアスタッフとして活動していると、理事長の桜庭さんから「奄美大島のツアー」を勧められた。普段、腰の重い私が直感的に「行ってみよう」と思った。

奄美大島プロジェクト始動!

早速、奄美大島に住むZESDA前理事「林(旧姓・池ヶ谷)あすか」さんにツアーの申し込みの為コンタクトを取った。

そこから、SNSで連絡を取り合い、事前のオンライン打ち合わせもあり、10月21日、22日、23日の2泊3日で現地訪問をした。

池ヶ谷さんのご主人の林さんは、奄美大島の出身、今年の4月から奄美大島で子供二人と4人で暮らしている。
池ヶ谷さんは農林水産省の官僚(現在育休中)、林さんは今年3月に農林水産省を退職した。

成田空港から2時間10分のフライトを終え、奄美空港に到着。そこには、真黒に日焼けした林さんが笑顔で迎えてくれた。真黒に日焼けした笑顔から浮かび上がる真白の歯が印象的で、とても穏やかな印象の持ち主だ。

初日の奄美空港から最終日まで、朝昼夜3食食べる時、車での移動中も林さんとず〜と一緒だった。なぜ、奄美大島に帰ってきたのか、バニラビーンズを始めた理由、奄美大島の生活、奄美の人、島料理、黒糖焼酎、歴史、神話、奄美大島の課題など、沢山教えてもらった。

更に、今回の目玉は、桜庭氏の計らいで奄美市長への訪問だ。ZESDA書籍を献本、市長からは3つの課題をお聞きして写真も撮らせてもらった。私の人生の中で滅多にないカラフルな瞬間だったかもしれない。

こうして、行政と島民のそれぞれの立場から意見も聞けたことで、奄美大島の魂を全身全霊で受けた感じがした。こういった感覚はいつぶりだろうか?

奄美大島3日間の旅から見えたその魅力とこれからどのような形で貢献していくかもお伝えしたい。

奄美大島体験 1日目

1日目からとても濃い内容だった。空港からまずは、自宅にいる池ヶ谷さんとご挨拶、そこからバニラビーンズ農園に向かった。

到着すると、1200本のバニラビーンズが植えてあり、何ともインパクトある光景だ。今年6月から栽培を始め、ハウスも余った機材を使って手作りで仕上げた。そこは、土木の仕事に携わるお父さんの援助もあり、かなり助けになったようだった。

何故、奄美大島でバニラビーンズ農園なのか?それは、林さんが官僚時代にタンザニアへ赴任中、ODAとしてバニラビーンズ農園を支援していた時だ。

その自然環境そのもが奄美大島にそっくり!バニラは、温暖且つ降雨量の多い熱帯・亜熱帯地域での栽培に適しているからだ。そこから2021年には、両親のいる実家でトライアルにバニラビーンズを栽培開始後、今年6月から本格的に栽培し始めた。

バニラビーンズ栽培、4つのメリット

  • 1.沖縄、奄美大島の気候、熱帯・亜熱帯地域に向いている
  • 2.農薬や肥料が不要=作業負担が比較的小さく高収益
    ⇒高齢農家でも比較的容易に栽培が可能=農業者の収入向上や耕作放棄地の解消に寄与可能
  • 3.加工後は1年は保存可能。
    ⇒ 比較的足が早い農作物に比べ、出荷タイミング・在庫調整が容易、且つ遠い市場までリーチ可能= 離島デメリットを解消
  • 4.スイーツの原材料で日本は全量輸入=希少性が高い
    ⇒ 島のザラメや卵、黒糖焼酎を使った島独自の特産品開発の可能性が高く、観光農園とも相性が良い

こうしたバニラビーンズの可能性を楽しそうに話す林さんはとても印象的だった。

林さんとお父さん

1200本以上にバニラビーンズ

挿し木

手作りのバニラビーンズ農園

次の目的地は、お美味しいジェラート工房だ。

途中、林さんの農家仲間にバッタリ会い、畑の前で農作物談義。その方の畑には、沢山の作物が植えてあった。

「お酒の原料はあるのか?」私はと聞いた。「サツマイモか!」という返事が直様返ってきた。最近は、鹿児島本土でのサツマイモが高騰しているため、頼まれて栽培しているらしい。こんなに儲かるなら、もっと前から栽培しておけば良かったとも語っていた。

私は、まだこの時点で、黒糖焼酎=芋焼酎だと思いこんでいた。

林さんの農家仲間と農作物談義

それから「あまみん」に到着。

ジェラートやハーブティーを製造、販売する工房だ。店の中へ入るとカラフルなジェラートが並んでいる。

鮮やかなピンク色のドラゴン&パッション、甘酸っぱいたんかん、紺碧のミントチョコ、天然塩のバニラなど種類は豊富で、試食もできる。

どれも美味しい。

結果、天然塩バニラに安納芋をのせたジェラートを食べた。安納芋の濃厚な甘さと天然塩バニラの絶妙なバランスがこの旅に深みを与えてくれる。

林さんの農家仲間と農作物談義

ここの代表・田中さんは、元々作業療法士で沖縄からIターン、農福連携の取り組みとして起業した人物だ。

奄美大島は、障害者も多く雇用確保は島の一つの課題だ。その課題をIターン組みの田中さんが、当事者意識を持って解決している事はとても刺激を受ける。

田中さんは、まだまだ新しい事に取り組もうという姿勢と探求心がスゴい!林さんと同じで、それを楽しそうに話している時の顔がイキイキしている。

田中さんと名刺交換を終え、次は奄美市長訪問だ。

一度宿に戻ってスーツに着替え、市役所に向かった。車中で、林さんの官僚時代の貴重な話しを聞いた。

林さんの政治家との交流は、経験豊富で心強い、お陰様で安心感があった。

時間通りに市長と対面(ZESDA人脈スゲぇ)、デジタル領域での人材交流、大島紬の後継者問題、黒糖焼酎の事など意見交換した。

最後に、ZESDA書籍「プロデューサーシップのすすめ」「グローカルビジネスのすすめ」の2冊を献本、記念撮影をさせて頂いた。

島民である林さんからの意見も聞けた事で奄美大島の魅力と課題を深く知る事ができたのはとても貴重な時間だった。

イマイチの天気かな。本当はもっとキレイな海と空

市長訪問を終え、後は島料理と黒糖焼酎を楽しみに林家へ。

林家へ着くと、6才の息子と2才の娘さんも一緒に迎えてくれた。

まずは、ビールで乾杯、もずく、竹の子、豚味噌、ツランコと呼ばれる豚の顔の味噌煮込み、締めは鶏飯で。

どれも、黒糖焼酎に合う、お酒が進むなぁ〜と気持ち良くっなていると、林さんが三味線を取り出し、島唄を披露。それに合わせて、子供がリズムをとっている姿が可愛らしい〜

奄美は山と海が近くで繋がり、豚料理、海の物、山の物を取り入れた料理、三味線が一つの風物詩だ。

竹の子漬け

豚の味噌漬け

豚の骨煮込み

鶏飯

三味線を弾く林さん