5月5日、朝の8時。
今日、終日案内をしてくれるタクシーのお兄さんがホテルの前で我々をピックアップ。目指すはティラワです。
ティラワとは、ヤンゴンのティラワ港に隣接するティラワ経済特別区(Thilawa Special Economi Zone)のことです。日本の企業とミャンマー政府&企業が出資しており、総開発面積は約2,400ha(東京ドーム500個分)。そのうちクラスAと呼ばれる先行開発区域は日本の総合商社等から構成されるMyanmar Japan Thilawa Development Ltd (MJTD)が開発を担っています。2014年からすでにクラスAの販売が開始され、すでに22社(うち日系企業が12社)が契約締結に至っています。
ティラワまでは、タクシーで1時間ほど。ヤンゴンの郊外を見られるということで内心エキサイティングな三人。都心から10分もしないうちに、大きなビル群が消え、小さな個人露店や住居、更に進むと遠くを見渡せるほどの更地が目に入ってくる。
都市部とはまったく異なる風景だ。途中、牛の群れなどもいた。ティラワまでの所要時間が近づくにつれ、車窓からは石油工場や、高く積み上げられたコンテナが目に入ってきた。まさに、「開発」を彷彿とさせる光景だ。
それから数分ほどして、右手に”Myanmar International Terminals Thilawa”と大きく書かれた関門が見えてきた。車から下りて当たりを見渡すと、重機やコンテナなどの物資を積んだダンプトラックの往来が激しく、郊外と思えないほど異様な熱気と喧騒に包まれている。
門のほうへ近づいていくと、車の通過を取り仕切る人がいて、中に入れないか尋ねたところ、「通門証やアポがなければ通過はできない」と言われた。門の先にはたくさんのコンテナやコンテナを運ぶ重機、自動車などが見えた。押しを強くしてもう一度懇願してみたが、先ほどと同じ回答を繰り返される。これ以上何もできないと判断した我々は、車に戻り次の目的地を目指すことに。
もうすでに都市部からかなり離れたところにいたが、さらに奥へと進んでいく。走りだして10分くらいしただろうか、”THILAWA SPECIAL ECONOMIC ZONE”と表記のある、大きな白塗りの関門が見えてきた。
左手を見ると、日本国旗、ミャンマー国旗、そして”MJTD”と書かれた旗が風になびいている。どうやらここが我々の目指していた「ミャンマー・ティラワ経済特別区」であるらしい。
関門の出入り口は二つで、門衛は4人ほど。先ほどは入れなかったので、今回はと意気込んで向かっていくと、門の右端に歩行者用の通路があり、中に入ることに成功。入った先に見えたのは、広大という言葉だけでは言い表わせれないほどの超巨大な敷地。中央に道路が走っているが、長すぎて先が見通せません。
敷地には横長の工場のような建物がいくつもあります。最初に出くわしたのはこの経済特区の本部と思わしき建物。
入り口の柵は固くしめられており、中に入れる気配がなかったので更に歩を進める。時は昼前ではあったが、すでに気温が35度近くもあり、数分も歩かなうちに汗だくになり一歩一歩が重くなる。もうこれ以上遠くには行けないと判断し引き返そうとしたが、「見て終わり」という結果には終わらせたくなかったので、どこか少しでも入れるところがないか必死に探す。その折、右斜め前方に柵が開け放たれた工場を見つけた。
「LUTHAI TEXTILE」という表記がある。門の近くには守衛がおり、中を伺っていると明らかに疑いの目でこちらを凝視してくる。どうしても中に入りたかった我々は、「日本が投資している区域なのだからパスポートを見せればいけるだろう」という安易な考えのもと、スパっと自信満々にJAPAN PASSPORTを守衛に見せる。緊張の瞬間だったが、守衛はなんと「OK」のサインを出してくれた。興奮を抑えきれずに敷地の中に入っていく。目の前に現れたのは、2階建ての真っ白な建物(人聞きは悪いが、刑務所を彷彿とさせる)で、窓は格子で囲まれている。
更に進むと格子窓のない建物があり、人の気配を感じる。建物に近づいていくと、いきなり「ワン!」と四方から吠えられる。振り返ると、なんと4匹のかなり凶暴そうな番犬が白い歯をむき出しにして、こちらに向かってきているではないか。「やばい、終わった、、」と絶望感に苛まれながらも、ありったけの力を振り絞って、ゆっくり、ゆっくりと建物から遠ざかる。20秒くらい後ずさりを続けると、番犬はそれ以上付いてくることを止めた。なんとか難を脱した、と思ったのもつかの間、建物から一人の男性が怪訝な表情を浮かべて出てきた。「君たちはここで何してるの?」という質問に対し、「えっと、、我々はZESDAというNPO法人で、日本の企業の海外進出のサポートをしており、そのためのアドバイスが頂きたいのですが。あと、日本の力を入れているティラワの実際についても教えて頂きたいです」と回答。これで無理なら諦めようと思っていた矢先、なんと工場の紹介や案内をして頂けるらしい。まさかこんな展開になるとは誰も思っていなかったので、うれしい気持ちはありながらも「本当にいいの?!」という感覚。その後は、会議室のようなところでティラワや工場についての説明とQ&A。
その後、実際の工場を案内して頂く。ドアを開けた瞬間、目に飛び込んできたのは広大なスペースとミシンと人。赤色のポロシャツを着た女性が縦横にズラッと並んで座り、目の前に置かれたミシンを使って熱心に裁縫に打ち込んでいる。
場内を回りながらも、就業形態や賃金などについて説明頂きました。
工場で見聞したことをまとめたものの一部が以下です。
•工場では約800名の女性(20-21)歳が、月150$程度の賃金で働く
•男性より女性の方が細かい作業が得意であるため、裁縫作業はすべて女性
•工場で作成したシャツやスーツはミャンマーから中国や東南アジア諸国へ輸出する
•各種手続きが政府に承認される期間が長く、時間がかかる
•ティラワについて言えることであるが、労働者の勤務時間管理などが徹底されており、
毎週報告が必要
•停電の多さ、交通渋滞による物流網の未整備が深刻。停電が頻発すると工場操業
にも影響を及ぼす
アポなしの突撃で訪れたのにも関わらず、優しく丁寧に対応して頂いたLUTHAI TEXTILEの張偉氏(下写真の右から3番目)には本当に感謝しています。
当初予定していた「ティラワ視察」はこの思いがけない機会によってより充実したものになりました。
本日の「業務」を終えた後、我々はボジョ−アウンサンマーケットやNight marketを散策する。Night marketでは果物が豊富に取り扱われており、どれも安く新鮮でおいしかった。
この3日間の滞在はあっという間でした。たくさんの素晴らし方との出会いと体験の数々。心に残る体験はいくつもありましたが、その中でも個人的に最も印象深かったのが、ミャンマーの方がモノを片手で渡す際に、もう片方の手を必ず肘下に添えていたことです。Day2で出会った筋肉質のミャンマー人男性はこのことについてこう仰っていました。「人に物を渡すときは両手で渡すのが礼儀の基本です。ただ、状況によっては片手で渡さざるを得ないときがあります。そのときは物をもっている手にもう一方の手を添えてあげます。我々にとってはこれも礼儀の一つなんです。」筆者はこれを日本に帰ってからも実践することを誓い、今も続けております。
帰国の際の空港で「名残惜しい」という言葉が我々の頭から離れない。またぜひ戻ってきたい。我々ZESDA隊員3人は小さな達成感に浸りながらも、入り混じった気持ちの中で、帰国の途につく。
〜視察を終えて〜
我々がこの視察を通して感じたことを以下の5つにまとめてみました。
・現金主義が強く、銀行への信頼度は低い。
・渋滞などの影響により、物流網が安定していない。
・Facebookを始めとしたSNSの利用が多いこと。
・教育系のスマホアプリに比較的興味があること。
・寄付を始めとした利他心が強く、自国の将来に希望を持っていること。
今現在、我々は上記を含めた調査結果をまとめ、具体的なビジネスアイデア創出に向けて活動を続けており、今後、講演やセミナーなどでその内容を発表予定です。またこの視察を皮切りに、ミャンマーだけでなく他国の調査にも着手しております。アイデアを生み、実際のビジネスにつなげ、新規雇用を創出する。このミッション遂行に向けて、ZESDAは今後もチャレンジを続けていきます。