バングラデュ経済担当公使 Dr. Jiban Ranjan Majumderより 「バングラデュの社会・経済的発展と日本との歴史的紐帯」  Platform for International Policy Dialogue (PIPD) 第22回セミナー開催のご報告

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NPO法人ZESDAは、「官民恊働ネットワークCrossover」(中央省庁の若手職員を中心とする異業種間ネットワーク)との共催、(株)クリックネット まなび創生ラボ(株)自由が丘パブリックリレーションズの協力により、在京の大使館、国際機関や外資系企業の職員、及び市民社会関係者をスピーカーに迎え、国内外の政治・経済・社会問題について英語での議論を通じて理解や問題意識を高める、「Platform for International Policy Dialogue (PIPD)」を開催しています。

 

3月4日(金)の朝7:30から9:00の時間帯で行われた第22回PIPDセミナーは、バングラデュ経済担当公使のDr. Jiban Ranjan Majumderをゲスト・スピーカーとしてお招きし、「Socioeconomic Development of Bangladesh & its Historical Bondage with Japan(バングラデュの社会・経済的発展と日本との歴史的紐帯)」をテーマにディスカッションを行いました。

(今回のお話は、Majumder氏の個人的な見解であり、バングラデシュ大使館及び政府とは一切関係ありません。)

「おはようございます」という日本語でのあいさつで始まったMajumder公使のプレゼンテーションは、バングラデシュの概要、独立から今日に至るまでの歴史、現在の主要産業、そして観光地まで大変分かりやすくご説明いただくとともに、日本との接点について、有名なものから意外なものまでご紹介いただきました。以下、プレゼンテーションの要約を掲載します。

 

その1:バングラデシュはどんな国か?
~ バングラデシュの地理的・人口的特徴 ~
バングラデシュは、国土の西側、北側、そして東側のほぼ全てをインドに囲まれています。しかし東側の一部地域はミャンマーと国境を接していること、南はベンガル湾に面していることから、東南アジアと南アジアをつなぐビジネスハブとしてのポテンシャルを有しているといことです。また、北海道と四国を合わせた程度の国土に日本を上回る1億6千万人もの人々が暮らす、世界で最も人口密度が高い国です。

~ 独立まで ~
190年間にわたる植民地支配の後、1947年にインドとパキスタンはイギリスから独立を果たしましたが、バングラデシュはパキスタンの一部(東パキスタン)とされてしまいます。数千キロも離れているパキスタンとバングラデシュは様々な点で異なる一方で、パキスタン政府は現バングラデシュを搾取の対象としかみていなかったことから、バングラデシュの人々は1971年3月26日に独立を宣言し立ち上がりました。その後9ヶ月で300万人もの命が失われたパキスタンとの戦争を経て、12月16日に独立を果たしたバングラデシュを、その2ヶ月後に世界で最も早く国家として承認したのは日本だったのです。

~ 経済的発展 ~
バングラデシュは、独立から50年となる2021年までに、middle-income country になることを目指しているそうです。バングラデシュ経済は、長らく農業に依存してきましたが、主に縫製業の発展により、過去20年の間にその比重を製造業に移しています。かつて本当に小さかった縫製業は、わずか20年で世界2位の輸出額を占めるまでに成長し、今や同国の製造業の40%、総輸出の80%を占めています。さらに縫製業の発展は、経済的な意味合いだけでなく女性の社会進出という面でも大きなインパクトを持っていることが紹介されました。具体的には、独立当初就業人口に占める女性の割合は10%程度であったにも関わらず、現在縫製業に従事する労働者の85%は女性であるそうです。併せてMajumder公使は、縫製業の目覚ましい発展に、ミシンをはじめとする日本の機械設備が大きく貢献してきたともお話ししてくださいました。

バングラデシュは、世界経済が不調の最中にあっても経済成長を続け、外貨準備についてもパキスタンの約100億ドルを大きく上回る280億ドルを有しているなど、安定的な経済運営が実現できているそうです。また、独立当時は食糧不足に苦しんでいましたが、その後農業生産は3倍になったことで、倍増した人口を十分に養えるようになっています。

Majumder公使は、バングラデシュが小さいながらも順調な経済発展と人口増加を実現できた背景に、母語であるベンガル語で国が一つにまとまっていたことが重要であると紹介してくださいました。それについて、世界銀行職員としてバングラデシュに赴任していたCrossoverの池田代表より、同国にとってベンガル語が如何に大切かを知るためのストーリーとして、2月21日のユネスコの「mother language day」は、パキスタンの一部だったバングラデシュで、ベンガル語を公用語として認めるよう求めた4人の学生が警官隊の発砲により亡くなったことに由来していることが紹介されました。Majumder公使からは、この運動における犠牲者を追悼する「ショヒド・ミナール」という記念碑が全国の学校や広場に必ず建てられていること、そして、真ん中の大きな柱は母親を、両側の4本の柱はその時に亡くなった学生を意味しているということを紹介いただきました。

ここで、参加者から、「バングラデシュの順調な経済的発展を支える縫製業の安全な労働環境の確保と価格競争力をどのように両立させていく~ 観光 ~
日本の東大寺と時を同じくして7世紀に作られ、世界遺産に登録されているPaharpurの修道院、世界最大のマングローブ林である「シュンドル・ボン」とそこに生息するロイヤルベンガルタイガー、世界最長のビーチである「コックス・バザール」など、とても魅力的な観光地を紹介いただきました。

 

その2:バングラデシュと日本の文化的・政治的なつながりとは
~ 国旗 ~
日本とバングラデシュの国旗はよく似ています。Majumder公使から、バングラデシュの国旗の意味するところを紹介いただきました。すなわち、背景の緑はバングラデシュの豊かな大地と盛んな農業を、真ん中の赤は日本国旗と同じ太陽であるだけでなく、独立時に失われた血を表しているとのことです。

~ 文化的・経済的側面 ~
日本とバングラデシュの文化交流は、仏教を通じて7世紀から始まったそうです。また、20世紀初頭に日本人と結婚したMs.Hariprabhaというバングラデシュの女性と彼女が書いた日本の生活などに関する本、アジアで最初のノーベル文学賞詩人であるタゴールと日本人詩人野口米次郎との交流、そしてSatyajit Roy監督と黒澤明監督の交流について紹介しつつ、お互いの国の有名な人間同士が交流すると、その他の人間もお互いの国についてよく知るようになるという点についても指摘くださいました。

この点について参加者から、「タゴールをはじめ紹介されたような方々はインド人であると誤解されている部分もあるが、どう思うか?」という質問がありました。Majumder公使は、「たしかにバングラデシュはまだまだ認知されていない部分があり、ぜひ皆さんにバングラデシュの認知度を上げていく協力をしてほしい」という回答をしてくださいました。

日本のドラマ「おしん」については、日本が貧しい時代から国民が努力を惜しまずに発展していく様が非常に魅力的だということで、バングラデシュでも大変な人気を博しているとのことです!最近ではドラえもんも人気だそうです。

経済面では、近年多くの日本企業がバングラデシュに進出していること、バングラデシュの車の多くがトヨタ製、バイクはホンダ製、カメラはキャノンなど、経済的に非常に深い関わりがあるということも紹介頂きました。さらに日本に約550万台ある自販機のボタン部分は、すべてバングラデシュ製ということで、「皆さんが自販機で飲み物を買うときに、バングラデシュに触れているのだ」と、日本とバングラデシュの意外な関係を紹介してくださいました。

~ 政治的側面 ~
第二次世界大戦中には、Mr. Subhas Bose(チャンドラ・ボース)をはじめとする多くのバングラデシュ人が日本に協力しました。チャンドラ・ボースは、日本人の協力を得ながら、英国から独立を勝ち取るための「インド国民軍」を作り上げた人物です。Majumder公使は、戦死されたチャンドラ・ボース氏の遺灰は杉並区の蓮光寺に眠っているという話を紹介してくださいました。

また、大戦後の東京裁判の裁判官の一人となったJustice Radha Binod Pal(パル判事)についても紹介いただきました。パル判事は、連合国側の裁判官全員が日本の被告を有罪とする主張をする中、ただ一人これに対して客観的な証拠に基づき反対した方です。日本人はこのことを決して忘れず、今も靖國神社にパル判事の碑があるということを紹介してくださいました。

さらに、天皇皇后両陛下のバングラデシュへの訪問や、バングラデシュ建国の父ムジブル・ラーマン大統領の娘である現シェイク・ハシナ首相と安部総理との交流など、日本とバングラデシュの強い政治的つながりを紹介くださいました。また、1973年以来たくさんの青年海外協力隊員がバングラデシュの津々浦々で活動をしていること等、草の根レベルでも交流がなされているとお話いただきました。

プレゼンテーションの最後は、バングラデシュの国花である睡蓮と日本の国花である桜をMajumder公使の可愛らしいお孫さんたちの写真とMajumder公使のご近所の日本人のお子さんたちの写真を並べながら、非常に良く似た両国同士、これからも一緒に笑っていきましょう、という温かい言葉で飾ってくださいました。
のか」という質問が出されました。Majumder公使からは、2013年4月の「ラナプラザの悲劇」を契機に、政府・産業界が一丸となって労働環境における安全性を確保するための様々な取組みが実施されているという回答がありました。

また、middle-income countryになるためには、特にどのような課題があるのかという質問も出ました。これについては、Majumder氏は、労働集約的な縫製業に代わるより付加価値の高い産業を育てること、及び貿易黒字、海外出稼ぎ労働者からの多額の送金、そしてJICAや世銀グループからの低利・長期の融資によって得られる外貨を計画的・適切に活用していくことが重要と説明して下さいました。

 

会場からは、周囲を軍事的な大国に囲まれている中にあっての安全保障政策、災害に脆弱な国土を守るための気候変動対策、そして縫製業以外の重要な産業についてなど、様々な質問が尽きることなく出され、公使と参加者との活発なやり取りは最後まで続きました。

以上のように、Majumder氏からは非常に幅広い観点から、時にユーモアを交えながら、バングラデシュと日本とのつながりを紹介いただきました。今回のプレゼンテーションを通して、バングラデシュがより一層身近な国であることを実感し、今後も、バングラデシュと日本は手を取り合って、お互いの良いところを学び合い、共に発展していきたいと強く思いました。

 

今後もZESDAはグローバル・ネットワークを構築していくため、「Platform for International Policy Dialogue(PIPD)」を共催して参ります。引き続き、ZESDAを宜しくお願い致します。